議論が上手くなるには、反論の技術を磨くことだ
『反論の技術―その意義と訓練方法』を読んだ。
反論の2つの型(アリストテレスによる)
1. アンティシュロギスモス (相手の主張と反対の主張を論証すること)
2. エンスタシス (相手の主張を支える論証を切り崩すこと)
アンティシュロギスモスは「主張」型反論
エンスタシスは「論証」型反論
本書では、ディベートを議論ゲームと馬鹿にしている節があるが、前者はディベートでいうカウンタープランであり、後者はディベートでいう相手のワラントを攻めることに該当する。
「主張」型反論は、相手の主張を否定するのではなく、対立するこちらの主張を別の根拠にして並立させるだけなので、本書では主に「論証」型反論を扱っている。
ただし、「論証」型反論は、論処を崩したとしても「主張」を否定したことにはならないため万能とは言えない。フェルマーの定理の証明方法を間違えてたとしても、フェルマーの定理は正しいことと同様である。
議論の本質は反論
「議論」が成立するためには、「意見の対立」が必須である。反論が出なくなった時が、思考が終わるとき。
J・S ミルはこれを『ある事柄に関してもはや疑問がなくなると、その事柄については考えるのをやめてしまうという人類の宿命的な傾向』と呼んだ。
反論は真理を保証する
数学的真理の明証問題は反論を考慮せずに正しさを証明できる。
しかし、例えば「体罰は教育に必要である」という命題を証明するためには、反対する意見の存在が必要である。その反対意見を議論で負かすことによってのみ、正しさが証明される。つまり、反対する意見との「共同作業」というかたちを取らざるを得ない。
アリストテレスは『弁論術』の中で、レトリックに特有な推論をエンティメーマと呼び、次のように説明している。
「弁論術の推論が必然的なものを前提とするのは稀である。われわれが判断したり探求したりする問題の多くは違ったあり方も可能とするものである。なぜなら、われわれが議論したり探求したりするのは行為についてであり、行為は全てそのような種類のものであり、ほとんどそのどれ一つとして必然的でないから」
つまり、
厳密な自然科学の議論は、「必然的な前提から出発して、必然的な結論に到達する」が、 人文・社会現象を扱う議論は、多くの場合「蓋然的前提から出発して、蓋然的結論に到達する」
「真偽」が客観的方法によって原理上確定できない領域では、「説得力優先のファラシー」は誤謬ではない。
レトリックは悪用できるほどには上達しない
詭弁が悪用された稀有な例、第三帝国国民啓発宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルス。
ゲッベルスは、同一の事柄について、4つの異なった見解を説得的に主張するというと
特技を持っていた。
自分の議論に反論する
構想の段階で、自らの立論に反論を試みることで、その弱点に気づきより説説得力のある論に練り直す。
がい‐ぜん【蓋然】
たぶんそうであろうと考えられること。ある程度確実であること。⇔必然。
fallacy
論理[推論]上の誤り.
ヨーゼフ・ゲッベルス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B9
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