『自分の中に毒を持て』が好きな人に悪い人はいない
『自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか』読んだ。
感想
岡本太郎は生きることに本気だった。一般的な日本人は他人の非難を恐れ自分の信念を貫かない、そういう日本人の日本人的生き方を嫌っていることが感じ取れた。
彼はエネルギーがありすぎる。エネルギーがあるから、努力もでき自信がある。カリスマ性もあり人を惹きつける。
僕は無知で、彼のことをあまり知らない。太陽の塔を作ったことぐらいしか知らない。しかし、彼は天才だと思う。一般人にはとても出せないような、エネルギーを感じるから。少数派だからこそ芸術家になれた。
『自分の中に毒を持て』は、もともとエネルギーのある人が落ち込んだ時に読むと精力剤になる本だと思う。
しかし、僕みたいなエネルギーのない人間が読むと、差を見せつけられてもっと落ち込んでしまう。彼が言うところの運命に対する真剣味が足りない人間だから。
メモ
人間の本当の生き方はタブローという枠の中で美を追求することだけではないのではないか。もっとひろく、そしてもっとぎりぎりの、自分という人間の全存在、生命それ自体が完全燃焼するような生に賭けるべきなのではないか、そういう自分自身への問いに全身でぶつからずにいられなかった。
p.17
「道で仏に逢えば、仏を殺せ」
p.32
他人から見ればとるに足らないようなバカバカしいものでも,自分だけでシコシコと無条件にやりたくなるもの、情熱をかたむけるものが見出せれば、きっと目が輝いてくる。これは自己発見だ。生きていてよかったなと思うはずだ。
p.33
自分はダメな人間なんだとか、こうやったらきっとだめになるだろう、それならそのマイナスの方に賭けてみるんだ。それは、もちろん危険だ。失敗に賭けるんだ。でも、だめだと思うことをやった方が、情熱がわいてくる。
p.54-55
何かをやろうと決意するから医師もエネルギーもふき出してくる。何も行動しないでいては意志なんてものありゃしない。
p.59
自分の運命を賭ければ、必ず意志がわいてくる。もし、意志がわいてこなければ運命に対する真剣味が足りない証拠だ。
p.62
人間は本質的に、ホモ・ルーデンスなのだから。
p.113
純愛とは、男女関係につきものの瑣末な利害をのりこえたまったく無条件な愛の姿だ。
p.137
平安時代のプレイボーイは、性に命を賭けることに、ロマンを持っていた。在原業平を知っているだろうか。天皇の女を盗んで、背におぶって逃げたんだ。西欧でもそうだった。スタンダールの『赤と黒』に出てくるジュリアン・ソレルだって性に命を賭け、最後は死んでいった。
p.158
ぼくは『今日の芸術』という著書の中で、芸術の三原則として、次の三つの条件をあげた。芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。それが根本原則だ、と。
p.176
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)
- 作者: 岡本太郎
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 1993/08
- メディア: 文庫
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